整骨院から介護へ、そしてM&Aへ。人が育つ仕組みが会社を次世代につないだ|ピープル・ビジネス・スクール
1994年に整骨院を開業し、複数店舗への展開を経て介護事業へと転換してきた中園徹氏。経営を始めた当初は、人が辞める理由も、仕事を教える方法も分からず、組織づくりに苦しんだといいます。そこで出会ったのが、マクドナルドをベースにした人材育成と店舗運営の仕組みでした。約30年かけて「人に依存しない会社」をつくり、2025年には株式譲渡による事業承継を実施。組織づくりと事業承継の関係について伺いました。
まず、中園様がこれまで歩んでこられた経歴について教えてください。
大学卒業後、アパレル企業のオンワード樫山に3年ほど勤めました。ただ、もともと自分で何か事業をしたいという気持ちがあり、大学時代に通っていた整骨院の仕事に興味を持ったことから、この業界に入りました。
5年ほど修業した後、大阪で鍼の免許を取るために学校へ通いながら、学費を稼ぐことも兼ねて1994年に整骨院を開業しました。

開業した当初から、いずれは複数店舗を展開したいと考えていました。福岡時代の仲間や専門学校の同級生にも来てもらい、2店舗、3店舗と増やしていったのですが、そこで大きな壁にぶつかりました。
人が定着しなかったんです。
私は昭和の体育会系的な環境で育ってきましたし、整骨院自体も職人的な世界です。自分が教えられてきたように人にも接していたのですが、若い人たちはついてきませんでした。
さらに2店舗目を出したことで、「自分ができることを、人にできるようにする方法を知らない」ということにも気づきました。
治療については勉強してきましたが、人の雇い方や仕事の教え方については何も分からないまま起業してしまったんです。
当時、特にどのようなことに悩まれていたのでしょうか。
人が辞めていく理由が分からないことが一番苦しかったですね。
一日で辞める人もいれば、一週間で辞める人、一年経って辞める人もいる。でも、なぜ辞めたのかを分析する方法を持っていませんでした。
患者さんからクレームをいただいても同じです。「前回の先生は良かったけれど、今日の先生は良くなかった」と言われる。問題が起きても、なぜ起きたのか、どう解決すればいいのかを考える枠組み自体がなかったんです。
治療であれば、解剖学などの知識を使って痛みの原因を分析できます。しかし、経営や組織の問題については、それができなかった。
また、給与についても悩みました。
例えば、最初に雇ったパートのAさんに重要な仕事を任せるようになったので、時給を50円上げたことがありました。すると、後から入ったBさんから「どうしてAさんだけ上がるんですか」と聞かれたんです。
そのとき、私は答えられませんでした。
結局、二人に辞められたら困るので、二人とも一緒に給与を上げるようになりました。でも、それではおかしいですよね。
社員が家庭を持てば給与も上げてあげたい。ただ、何ができるようになれば給与を上げるのか、その基準がない。大企業の年功序列をそのまま小さな会社に当てはめれば、会社が持ちません。
本屋に行ったり、いろいろ勉強したりしましたが、答えが見つからない状態が何年も続きました。
そこから、現在の組織づくりにつながる「仕組み」と出会ったのでしょうか。
開業して6年ほど経った頃、新聞で、マクドナルドの仕組みを教えるセミナーを見つけました。
なぜマクドナルドに興味を持ったかというと、パートさんが急に休んだり辞めたりしても、全国の店舗が運営されているからです。
私たちの仕事では、いくら優れた治療技術があっても、その人が休んだ瞬間に仕事が止まってしまうことがありました。「マクドナルドはシフトをどう組んでいるんだろう」と思い、一人で東京まで勉強しに行ったんです。
そこで、元日本マクドナルドの初代統括スーパーバイザーだった林先生が教えていた「ピープルビジネス」の仕組みに出会いました。
驚きましたね。
私が知りたかったのはシフトの組み方くらいだったのですが、そこには人材育成や評価、店舗運営など、経営上のさまざまな問題を解決する仕組みがありました。
特に衝撃を受けたのが「キャリアパス」です。
パートでも店長でも、「何ができるようになれば、次の役割に進み、給与が上がるのか」が明確になっていました。
「これがあれば、今までの悩みから解放される」と思いました。
そこから、最初に雇った受付のパートだった川村さんと二人三脚で、東京へ何度も通いました。年間14回ほどセミナーに参加し、それを8年ほど続けながら、自分たちの会社に仕組みを取り入れていきました。
仕組みづくりで特に重要だったことは何ですか。
一つは「標準化」です。
例えば、Aさんがやればうまくいくけれど、Bさんがやるとうまくいかない。それでは店舗を増やすことはできません。
A店でうまくいった方法をB店でも再現できるようにする。そのためには標準が必要です。
誰か一人しかできない仕事をなくしていくことが、仕組みづくりなんです。
現場の仕事でも、部下への教え方でも、まず仕事を分解します。その中から最適な方法を導き出し、マニュアルにして、誰でも同じようにできる状態をつくっていきました。
もう一つ大切なのが、「人の成長に合わせて組織を拡大する」という考え方です。
会社を大きくしたいから店舗を増やすのではありません。
副店長が育って、「そろそろ店長に挑戦できる」という状態になったら、その人が次に活躍する場所として新しい店舗を出す。
一つの店舗に店長は何人も必要ありませんから、人が育てば次のポジションが必要になります。
人の成長に合わせて会社を大きくしていくことで、結果として店舗も増えていきました。
整骨院から介護事業へ転換されたのも、その仕組みが関係しているのでしょうか。
整骨院は最終的に6〜7店舗ほどになったのですが、柔道整復師など国家資格を持つ人が中心になります。職人的な世界でもありますから、どうしても有資格者に依存する部分が大きかったんです。
一方で、受付をしていたパートさんに、資格が必要ない簡単な施術や業務をマニュアル化して教えてみると、非常に活躍してくれることが分かりました。
「パートさんが主力として活躍できる業態の方が、自分たちが学んできた仕組みを生かせるのではないか」と考えるようになりました。
そこで徐々に介護事業へと転換していきました。
機能訓練を中心とするデイサービスであれば、マッサージや運動など、整骨院で培ってきたノウハウも生かせます。店舗を一つずつ整骨院からデイサービスへ変えていき、最終的には介護事業へ業種転換しました。
「社長がいなくても回る会社」を目指していたのでしょうか。
実は、最初からそんなことは全く考えていませんでした。
「社長がいなくても回る会社」と聞くと夢のようですが、私が考えていたのは、「何をしたら給与を上げられるのか」「どうすれば人が育つのか」といった目の前の問題を解決することだけでした。
ただ、後から振り返ると、学んできた仕組みそのものが「権限を移譲する仕組み」だったんです。
最初はパートさんに現場の仕事を任せる。
それができるようになったら店舗全体の運営を任せる。
さらに成長すれば、5〜7店舗を管理するようなマネジメントを任せる。
段階的に仕事と責任を任せていく仕組みになっていました。
結果として、社長がすべてを判断したり、社長自身が現場を動かしたりしなくても会社が運営できる状態になっていました。
苦し紛れに学んできた仕組みが、後から考えれば「社長がいなくても回る会社」をつくっていたんです。
そこから、2025年にM&Aによる事業承継を決断されたきっかけを教えてください。
実は、何年も前から事業承継を計画していたわけではありません。
大きなきっかけは、長年一緒に会社をつくってきた川村さんが引退を考えるようになったことです。
川村さんは最初、受付のパートとして入社し、その後、副社長まで務めてくれました。私と二人三脚で仕組みをつくってくれた人です。

その川村さんが70歳に近づき、「そろそろ引退したい」と言うようになりました。
何度か引き止めていたのですが、2025年3月までには辞めたいという話になった。
そこで、「自分も60歳を過ぎているし、一度ここで会社を次の人に渡して、リセットするのもいいかもしれない」と考えました。
そこから約半年でM&Aによる事業承継を進めました。
恩師からも以前から、「会社にも寿命があり、良い時期に次の世代へバトンタッチした方がいい」と言われていました。
会社の業績が悪くなってからではなく、銀行からも融資を受けられ、企業として価値がある状態のうちに、次の世代へ渡す方がいい。
自分自身も、今後は会社経営ではなく、これまで学んできた仕組みを伝えることに集中したいという思いがありました。
もう一つ、自分の原体験もあります。
私は小学1年生のとき、会社を経営していた父をがんで亡くしました。
従業員も多い会社だったので、父が突然亡くなった後、経営権を巡る争いや親族間の争いが起こりました。
子どもながらに、「社長が突然いなくなると、こんなに揉めるんだ」と感じた経験があります。
だから、死ぬまで経営者を続けるのではなく、ある程度のところで次の人に渡した方がいいという考えは、自分の中にずっとあったのだと思います。
承継先を選ぶうえでは、どのような点を重視されますか。
一番は、今いるスタッフや、これまでつくってきた仕組みを尊重してくれることです。
複数のM&A会社を通じて会社の情報を開示し、手を挙げてくださった企業の情報も確認しました。
その中で見ていたのは、やはり「社風が合うかどうか」です。
ホームページなども見ながら、「この会社の傘下に入ったら、自分たちの会社とは文化が合わないだろうな」と思うところもありました。
金額を最優先にしたのではなく、「今の人や仕組みを生かして、会社を存続させてくれるか」という点を重視しました。
最終的に承継をお願いしたのは、訪問診療をされている30代半ばの医師でした。

すでにデイサービスや放課後等デイサービスなどにも取り組まれていて、M&Aの経験もある方でした。
介護と医療は非常に相性がいいんです。
介護事業単独では収益性に難しい部分もありますが、同じグループの中に医療が加われば、内部で連携することができます。
「医療と介護を組み合わせることで、会社にとっても次の成長につながる」と感じ、ぜひこの方に引き継いでいただきたいと思いました。
社員の皆さんには、M&Aについてどのように伝えたのでしょうか。
契約前に、次の経営者となる先生に全店舗を見てもらいました。
社員には最初、「見学をしたい先生がいる」という形で紹介して、実際に店舗を回ってもらいました。その後、社員との交流会も開きました。
そして最終的に、「実は次の社長はこの先生です」という形で伝えました。
突然、「会社を売りました。明日から社長が変わります」という伝え方ではありません。
事前に顔を合わせて、一緒に話をしてもらった上でバトンタッチしたので、現場にも大きな動揺はありませんでした。
また、事業承継後は、自分から細かく口を出さないようにしています。
事業承継では、息子が社長になったのに先代の会長が経営に口を出し続けて揉める、という話もよくありますよね。
一度渡したのであれば、新しい経営者に任せる。
私は現在も一部株式を保有し、代表として籍は残していますが、会社にはほとんど出社しておらず、経営方針にも基本的には口を出していません。
実際にM&Aを経験して、事業承継についてどのようなことを感じましたか。
M&Aは私自身も初めての経験でした。
その中で感じたのは、経営が苦しくなったり、経営者が病気になったりして、「売らざるを得ない状態」になってからM&Aをすると、どうしても選択肢が少なくなってしまうということです。
会社に価値があり、経営者自身にも余裕があるうちに準備することが大事だと思います。
また、M&Aでは財務諸表をもとに会社の価値を査定します。それはもちろん重要ですが、会社の価値は財務諸表だけで決まるのだろうか、という疑問も感じました。
そこで働いている人や、長年培ってきた仕組み、会社の文化など、数字だけでは表せないものもあります。
そして、自分自身が事業承継を経験して初めて気づいたことがあります。
私は事業承継のために仕組みをつくってきたわけではありません。
それなのに、ほとんど引き継ぎらしい引き継ぎをしなくても、会社を次の人へ渡すことができた。
「なぜだろう」と後から考えると、30年間学んできた仕組みそのものが、権限を人に移していく仕組みだったからだと気づきました。
事業承継は、承継する直前から準備するものではないのかもしれません。
日頃から人を育て、仕事を標準化し、経営者自身がいなくても組織が動く状態をつくっていく。その積み重ね自体が、事業承継の準備になるのだと思います。
今後、どのようなことに取り組んでいきたいですか。
今は、これまで学んできた人材育成や組織づくりの仕組みを、中小企業、特に医療・介護業界の経営者に伝える活動に力を入れています。
この仕組みは自分だけで持っておくには、もったいないと思っています。
恩師からも「どんどん人に教えなさい」と言われていました。
最初は、「なぜ時間とお金をかけて学んだことを、ライバルに教えなければならないんだ」と思っていました。
でも、実際に整骨院業界で勉強会を開いて教えてみると、人に教えれば教えるほど、自分自身も勉強になることに気づきました。
それがやがて業界を超えて、さまざまな経営者に仕組みを伝えることにつながりました。
事業承継を経験したことで、この仕組みが経営だけではなく、会社を次の世代へ残すことにもつながると分かりました。
今、事業承継に悩んでいる経営者が何に困っているのかをもっと知りたいですし、自分の経験から伝えられることがあるのであれば、これからも伝えていきたいと思っています。
中園 徹
オンワード樫山勤務を経て独立。創業30年。医療・介護分野を中心に事業経営と人財育成に取り組む。開業後、離職など人材問題の限界に直面し、日本マクドナルド創業期の仕組みを築いた林俊範氏に出会う。ピープルビジネスに衝撃を受け、9年間師事。有資格者の労働時間3割削減という経営課題を2か月半で克服。その後、パート・アルバイトが8割を占める通所介護施設を展開。デイサービス、クリニック、歯科医院などへの仕組み導入コンサルティングを実施。創業30年目にM&Aによる事業承継を経験。現在は、「人材不足と後継者不在」に悩む医療・介護経営者へ、ピープルビジネスの仕組み導入を支援している。