インタビュー

決算書は、未来をつくらない。経営者の人生に向き合う事業承継|ちいきん会

決算書は、未来をつくらない。経営者の人生に向き合う事業承継|ちいきん会

みずほ銀行の常務執行役員から、経営難だった信用組合の理事長へ。数えきれないほどの中小企業の承継に立ち会ってきた新田信行氏は、事業承継に決まった型はないと語ります。行政と金融をつなぐちいきん会の代表理事として全国を回る新田氏に、承継の現場で見てきたものを伺いました。

まず、ちいきん会がどのような取り組みなのか教えてください。

もともとは金融庁発の取り組みです。2018年、遠藤俊英氏が長官だった時代に、庁内で立ち上がった地域課題解決支援チームが出発点になっています。

きっかけになったのは「47(よんなな)会」という、全国47都道府県の地方行政の人たちをつなぐ会でした。そこで見えてきたのが、県庁や市役所の方々と金融機関との接点がまったくないという現実です。地方創生は金融と行政が一緒にやらないと、面として広がっていきません。それなら、47会のような動きに金融機関が入っていける場をつくれないか。そこから始まりました。

2022年までは金融庁が事務局を務めていましたが、代替わりが進むなかで一般社団法人としてスピンアウトし、私が代表理事を引き受けることになりました。霞が関の施策が地方に流れていかない。逆に、地方の実情を霞が関がよく分かっていない。地方に行けば、金融機関と行政の接点が少ない。そこをつなぐ場をつくるということで、いま全国20数か所で活動しています。

集まる場では、肩書を外してほしいとお願いされていると伺いました。

大事にしているのは心理的安全性です。肩書が強い組織にいる方は、どうしても「何々銀行としましては」「何々市としましては」というところから話が始まってしまう。それでは新しい未来はつくれません。理事長もいれば、職員もいるし、若い人もいる。いろいろな人が一人の個人として、地域に対する思いでつながってもらえればいい。

もうひとつお願いしているのは、この場をセールストークの場にしないでください、ということです。地域全体をどう考えるかを話す場ですから。陳情の場でもないし、営業される場でもない。だからこそ行政や金融機関の方も気軽に参加できるのだと思います。

どうしても、みなさん視野が狭まってしまいがちです。行政の方は熱心に施策を打っているのに、それが地元の事業者に伝わっていかない。金融機関も一生懸命やっているのに、同じ地元にいてもお互いに知らない。これだけSNSが発達しているわりに、会ったこともない相手に対して行政はけしからん、金融機関はけしからんと言っている。やはり対話の場が少ないのだと思います。

事業承継をテーマに講演される機会も多いそうですね。どのようなお話をされるのでしょうか。

私は正直なところ、ビジネスモデルとかベストプラクティスという言葉があまり好きではありません。事業承継というのは、引き継ぐ社長と引き継がれる社長、その全部が個の人生ですから。人の人生が全部違う以上、承継もその数だけ違います。

以前、みずほで銀座を担当していた頃、老舗の旦那衆の方から言われたことがあります。最近は事業承継だM&Aだと、税理士がうるさいくらいにやって来る。だけど自分は生まれたときから三代目で、死ぬまで三代目なんだ、息子も生まれたときから四代目だ、と。それを、株価がどうだ、いくらで売るんだと言われても、考えたこともないし聞きたくもない、と。事業承継税制の説明に伺ったときの話です。

学者の方も、コンサルの方も、行政も、金融機関も、自分たちで決めた形から押しつけようとして入っていってしまう。まずは相手がどういう方なのかを、一つひとつきちんと向き合ってお話を聞くところからだと思います。事業承継とはその経営者の人生であって、その人生と向き合いなさい、ということです。

引き継ぐ側、つまり先代には、どのような課題があるとお考えですか。

一番多い失敗は、自分が引かないことです。70代、80代になっても、まだ俺が社長だと言って息子に譲らない。そうなると、もう未来は語れません。

私は金融機関の立場で、社長は5年後どうしたいですか、10年後の会社の姿を教えてください、と必ず伺ってきました。ところが8割ほどの方が過去の話を始めるんです。バブルの頃はこうだった、創業した時はこうだった、と。それが30分、1時間と続く。

私がお聞きしたいのは5年後、10年後の話です、と申し上げると、何も考えていない。決算書にお金を貸すのではなく、人を見てお金を貸すわけですから、これは困ってしまいます。未来が語れない経営者に、お金を貸すことはできないんです。

融資の現場では、先代とどのようなやりとりをされてきたのでしょうか。

正直に申し上げると、退任をお願いしたこともあります。ただ、これは突き放すという意味ではありません。そういう状況になっているときは、たいてい会社が赤字になっていて、経営者の個人保証の問題が避けて通れなくなっている。このまま続ければ、ご自身の生活の土台まで失いかねない。こちらとしても、そんなことにはさせたくないんです。

そのうえで息子さんにも伺います。この赤字の会社を、本気で引き継ぐのかと。嫌ならやめておきなさい、と。すると「従業員が20人いる。この20人も仲間だ。どうしても社長をやりたい」とおっしゃる方がいる。ではやりましょう、資金繰りは回します、その代わり毎月報告してください。これが現場のリアルです。

新田氏ご自身も、退く時期をあらかじめ決めておられたと伺いました。

はい。65歳、在任8年で辞めると決めていました。いろいろな方から辞めるなと言われましたが、これ以上いて墜落するのは嫌だったんです。

『易経』の冒頭に龍の物語が出てきます。龍が飛躍し、最後は飛龍となって空を飛び回り、恵みの雨を降らせる。ただ、そこで終わりではありません。その先に亢龍(こうりゅう)がいる。要するに墜落する龍です。経営者の出処進退で一番難しいのは「退」なんです。

退いたあと、一年間は引き継ぎ期間として残りました。理事長職はもう後任に渡してあるのに、お客さまも従業員もみんな私のことを理事長と呼ぶんですね。後任が「理事長は私なんです」と大きな声をだしたのを見て、これは私がここにいてはだめだと思いました。ですから、相談役も顧問も一切受けずに辞めました。

金融機関を私物化するつもりはまったくありません。声がかかれば行きますが、かからない以上は行かない。行ったら後任がやりづらいでしょうし、自分が選んだ後継者の悪口を言うのは何事だ、と思うんです。正直、身を切られるような思いでした。自分が丹精を込めたお客さまと従業員のすべてを手放すわけですから。

一方で、引き継がれる側の後継者には何が必要でしょうか。

創業者の気概です。親の七光りで何代目だと言って、ただ引き継ぐだけではうまくいきません。うまくいくケースは、ほとんどが実質的な第二創業になっています。

先代がつくった舞台回しは、使わせてもらえばいい。ただ、先代がその舞台で盆踊りをやっていたのなら、自分はロックをやるぞ、というくらいでちょうどいい。時代が大きな転換点にあるわけですから。ゼロから立ち上げるより面倒はありますが、発射点が高い。それだけのものがすでにあるんです。

親子であってもぶつかるケースの方が多いですし、むしろぶつからないとうまくいきません。親父のやってきたことは素晴らしい、自分はそれを受け継ぐんだ、と粛々としているときは、たいてい息子さんの代で事業がだめになります。

ただ、前任者を否定するだけでは必ずうまくいきません。一番起きるのが従業員の離反です。それまで先代が一生懸命つくってきた従業員との関係、お客さまとの関係、ひとつひとつの絆が中小企業にはある。そういう人たちは、前任者否定をした後継者を許さないんです。

ある会社では、社員数十名で合宿をやって、今日は思うことを言おうと言ったら、全員がその若社長を吊るし上げた。すべて悪いのはあんただと言われて、泣き崩れてしまった。

でも、それでいいんです。そのプロセスを踏むことで、彼は目覚める。数字や理屈ではない現場の経営とは何なのかを思い知り、従業員やお客さまとの対話を地道に始めていく。そういう事業承継が、実は一番強い。その過程で改めて先代の60年の足跡を追うと、それまで見ていた親父像がまったく違って見えてくるんです。

サラリーマンと経営者では、見える景色がそれほど違うものですか。

まったく違います。私自身、みずほの常務から信用組合の理事長になったとき、それを痛感しました。

メガバンクの常務の方が大変でしょうとみなさんおっしゃる。でもいざとなれば地元の千葉に帰り、家族で生きていけばいい、という感覚は振り返ればどこかにあったように思います。

ところが理事長になって、本当にあとがないと思ったときには、自分の家庭も危なくなるなと感じました。前任者はもういなくなっていて、完全に自分ひとりです。どこまで自分が個人で責任を取るのか。中小企業の経営者というのはこうなんだな、と身をもって感じました。

ゴルフに例えるなら、サラリーマンが見ているのはせいぜいレディースティからの景色です。経営者として見た景色は、フルバックよりもさらに深かった。同じゴルフ場が、まったく違って見えるんです。

だからこそ、先代の引き方が大事です。すべてを引き継いだ以上は、お前が全部やれ、と。最終の判断は自分であり、会社だけでなく自分の人生においても家族においても、自分には後ろがないんだという経験を、絶対にさせるべきだと思います。そこから這い上がってきた人は強いですよ。

後継者がいない会社の譲渡で、印象に残っている場面はありますか。

70歳を過ぎた社長が、ご自分で起こした会社を譲られたときのことです。社員が100数十名いる会社で、後継者がいなかった。自分がいなくなったらこの会社は持たない、買ってくれる会社を探してくれ、と相談に来られました。

同じ業界のもう少し大きな会社が、一部門として迎えたいと手を挙げてくれました。昔は社員を全員辞めさせてくれという条件が付くこともありましたが、今は逆で、社員が欲しいんです。社員が全員残ることが条件で、社長は一年間、相談役として残る。

その譲渡が決まった日の夜、社長と二人で飲みました。いい人生だった、とおっしゃるんですね。ある意味、その会社は彼の人生そのものです。屋号とブランドは残した。しかも社員は、譲渡先の方が規模が大きいので給与水準が上がる。

ところで、あなたはどうするんですか、と伺ったら、もう社長じゃないしな、どうしたものかな、と。荷物を下ろした晴れ晴れとした気持ちと、寂しさと。この両方があるのが人生なんです。一人ひとり、まったく違うんです。

協同組織の金融機関には、どのような役割があるとお考えですか。

経営者と対話し、経営者を育て、経営者の人生に伴走する。もともと金融機関にはその役割があったはずです。

日本の預金取扱金融機関は500数十ありますが、上場株式会社はそのうち約100、メガバンクと地方銀行です。残りの400数十は信用金庫、信用組合、労働金庫といった協同組織金融機関で、株式会社ではありません。数だけで言えば8割が株式会社ではなく、協同組織はもともと収益が目的ではないんです。

私はみずほの常務だった頃、毎日株価を見て投資家への説明を考えていました。それが信用組合のトップになったら、株式会社ではない。そこでずっとやってきたのがリレーションシップバンキングです。決算書が未来をつくるのではありません。未来は人がつくるんです。

最後に、事業承継に関わる方々へメッセージをお願いします。

木々を背に、笑顔で遠くを見つめる一般社団法人ちいきん会代表理事の新田信行氏

事業承継のまわりには、関わる人がいくらでもいていいと思っています。むしろ多い方がいい。志を持ってやっておられるのなら、応援したいと思います。

そのうえで申し上げたいのは、まず一人ひとりの人生と向き合ってほしいということです。事業承継税制がこうなればお得ですよ、という話から入らないでほしい。目先の税金が多い少ないという話ではなく、結果的にその人の人生が出てしまうものですから。

私は70歳ですが、これからの未来は30代、40代の経営者のところにあります。ですから、そういう方々の壁打ち相手になって、一緒に考える。私自身もずっと未来志向でありたいと思っています。ぜひ、心のある事業承継をやっていただきたいと思います。

よくある質問

事業承継に「うまくいく型」はありますか。
新田氏は、事業承継は引き継ぐ側と引き継がれる側それぞれの人生であり、その数だけ形が違うと述べています。ビジネスモデルやベストプラクティスという発想で型を当てはめるのではなく、一件ずつ相手の人生に向き合うところから始めるべきだ、という考え方です。
先代が引退を先延ばしにしてしまうのは、なぜでしょうか。
地位を手放すことの難しさが大きいと新田氏は指摘します。経営者の出処進退で最も難しいのは「退」であり、年齢を重ねるほど手放せなくなる。その結果、5年後・10年後の未来を語れない状態のまま経営が続き、金融機関としても支援が難しくなると述べています。
後継者は先代のやり方を否定してもよいのでしょうか。
反発心や独立心は必要で、ぶつからない承継はむしろうまくいかない、というのが新田氏の見方です。ただし前任者を否定するだけでは従業員の離反を招き、必ず行き詰まる。そこで打ちのめされ、現場との対話を地道に始め直したときに、承継は強くなると述べています。
経営者保証は、事業承継のときにどう扱われますか。
新田氏は、代替わりを進める場面では、先代の個人保証の解除をセットで考えてきたと語ります。年金と自宅は手元に残し、退いたあとの生活が成り立つ状態を整えたうえで、次の代に引き継いでもらう。保証の解除には金融機関内部の合意形成が必要になるため、弁護士や会計士と連携しながら進めたといいます。

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