インタビュー

「継ぐつもりはなかった」二代目が、会社だけでなく萬古焼産地の未来を背負うまで|山口陶器

「継ぐつもりはなかった」二代目が、会社だけでなく萬古焼産地の未来を背負うまで|山口陶器

三重県菰野町で、萬古焼の企画・製造・販売を手掛ける有限会社山口陶器。かつては産地問屋から依頼を受けて製造するOEM・下請け型の経営が中心だったが、二代目・山口典宏さんの就任後、自社ブランド「かもしか道具店」を立ち上げ、現在は企画から製造、物流、販売までを一貫して行っている。さらに、後継者不在となった窯元「クラフト石川」や、産地のサプライチェーンに欠かせない釉薬製造事業も承継。自社だけでなく、萬古焼産地全体の未来を見据えて行動を続けている。もともとは家業を継ぐつもりがなかった山口さんは、なぜ会社へ戻り、どのような思いで産地の事業を引き受けているのか。これまでの葛藤と、次世代へつなぐ覚悟を伺った。

まず、有限会社山口陶器の現在の事業内容について教えてください。

山口陶器は1973年に創業し、約50年にわたって陶器をつくり続けてきました。

私が代表を引き継ぐまでは、地元の産地問屋を中心に、OEMや下請けとして製造する仕事が中心でした。その後、2014年に「かもしか道具店」という自社ブランドを立ち上げ、現在は生産のほとんどが自社ブランドの商品になっています。

2017年には工場から500メートルほどの場所に直営店も開きました。現在は、自社での商品企画から製造、物流、販売までを一貫して行っています。

萬古焼産地の中で自分たちがどのような役割を担っているかと聞かれると、簡単には答えにくいですね。ただ、私は「今まで誰もやっていないからやらない」という選択はしたくないと思っています。

いわゆるファーストペンギンのように、産地の中でこれまでになかった取り組みに挑戦することが、山口陶器の一つの役割なのかもしれません。

山口陶器の自社ブランド「かもしか道具店」の器

山口さんは、もともと家業を継ぐことをどのように考えていましたか。

継ぐつもりは全くありませんでした。

私は昔から、敷かれたレールの上を歩くことが嫌いだったんです。地元には窯業について学べる学校もありましたが、そこへ進むこと自体が、家業を継ぐために決められた道のように感じていました。

とにかく自由に生きたいという気持ちが強かったので、学生時代には家業を継ぐという選択肢はありませんでした。

父が会社を経営していることについても、当時は特別な価値を感じていませんでした。単に「うちはサラリーマン家庭ではないんだな」という程度の認識だったと思います。

外部の会社で約10年間働いた後、家業へ戻ろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

会社員として10年ほど働くと、自分の立ち位置や今後のキャリアについて考える時期が訪れます。会社からも「これからどうしていくのか」と問われるようになります。

当時の上司から今後の進路について聞かれたとき、改めて「自分には家業がある」ということに気づきました。

もともと、入社したときから一生その会社にいるイメージは持っていませんでした。周囲に経営者が多かったこともあり、いつか自分で何かをしたいという思いはあったんです。

そのとき、父だけでなく母も山口陶器で働き、この仕事によって自分は育ててもらったのだと考えました。生活を支えてもらい、好きなことをさせてもらった。その恩を、自分も返さなければならないと思ったんです。

父からは「衰退している産業だから継がなくてもいい」と言われました。しかし、すでに自分の中では決断していました。衰退産業であろうが、父に反対されようが、自分で決めたことをやるだけだと思っていました。

実際に入社したとき、会社にはどのような課題がありましたか。

課題と危機感しかありませんでしたね。

ただ、外から「駄目だ、駄目だ」と言うだけでは何も変わりません。実際に入ってみると、仕事が全くないわけではありませんでした。

一方で、2000年代に入っていたにもかかわらず、社内にはパソコンが一台もありませんでした。世の中が大きく変化している中で、産業だけが化石のように止まっているように感じました。

でも、逆に言えば、その状態でも事業が続いていたんです。課題だらけである一方、変えることができれば、まだ伸びしろがあるとも感じました。

先代とは経営方針をめぐり、どのような衝突がありましたか。

先代は、それまで会社を経営してきた「過去の30年」を語ります。一方、私はこれから自分が経営していく「未来の30年」を語っていました。

過去の話と未来の話をしているので、話がかみ合うはずがありません。

私がこの先30年、40年会社を経営するにもかかわらず、「社長だから」「先代だから」という理由で、過去のやり方に戻ってしまえば、同じように衰退していきます。

だから、結果を出すしかないと思っていました。先代の意見を聞きながらも、そちらになびく必要はないと心の中では考えていました。

当時、父と私の間に入り、調整してくれていたのが母でした。母は本当に苦労したと思いますし、今でも感謝しています。

代表を引き継いだタイミングには、何か明確な理由があったのでしょうか。

特にありませんでした。父が突然、「代表を代わるぞ」と言っただけです。

決算期でもなく、会社の状態としても一番厳しい時期でした。入社した当初はまだ仕事がありましたが、次第にOEMの取引先から商品の廃番を告げられることが増え、景気も悪化していました。

なぜそのタイミングだったのかは、今でも分かりません。6月決算の会社なのに、2月に突然「判子を押せ」と言われて代表になりました。

それが、先代らしい面白さでもありますね。

承継後、自社ブランド「かもしか道具店」を立ち上げた背景を教えてください。

OEMや下請けの仕事は、どうしても他責になりやすい構造です。

取引先から「この商品は廃番にします」「次は別の商品に変えます」と言われれば、私たちにはコントロールできません。会社の状態が悪くなったのも、取引先による廃番の影響が大きくありました。

この先、自分が経営していくのであれば、他人の判断によって会社が左右される状態だけは嫌だと思いました。自分たちで決め、自分たちで責任を持てる事業をつくるため、自社ブランドに挑戦したんです。

当時の産業構造では、私たち窯元は「黙って商品をつくっていればいい」という立場でした。販売は問屋が担い、窯元が自ら売ることは歓迎されない空気がありました。

自社ブランドを始めると決めたことで、それまで取引のあった商社は一斉に離れていきました。最初の年は怖いほど厳しく、お金もなくなる一方で、ブランドへの投資は続けなければなりません。

もちろん苦しかったですが、覚悟を決めて始めたことでした。事業計画を立て、どう黒字化するか、どうビジネスとして成立させるかを必死に考えました。

未来のあることに挑戦していたので、当時は苦しさを感じる余裕もなく、必死に、そして楽しく取り組んでいたと思います。

有限会社山口陶器の外観

「かもしか道具店」という名前には、どのような意味が込められていますか。

カモシカは三重県の県獣であり、山口陶器の本社がある菰野町の町獣でもあります。町のシンボルである御在所岳にもカモシカが生息しています。

地域や産地を背負っていくブランドにしたいという思いから、「かもしか」という名前を付けました。

「道具店」としたのは、私たちがつくるものは、すべて暮らしの道具だと考えているからです。土鍋はもちろん、お皿も料理を盛り付けるための道具です。

陶器という枠だけにとらわれず、より広い視点で、暮らしの道具をつくり続けたいという思いを込めています。

ブランドの立ち上げ当初は、中川政七商店の展示会で商品を発表する機会にも恵まれました。まだ自社ブランドに取り組む窯元が少ない時代に、外部のデザイナーとともにコンセプトからブランドの構造までを徹底的に考えました。

単に商品を集めて名前を付けただけのブランドではないことを評価していただけたのだと思います。

また、ブランドを始めたことで「山口陶器で働きたい」という人が集まるようになりました。以前は、近所に住んでいるから働きに来るというケースが中心でしたが、ブランドに共感して応募してくれる人が増えました。

良い人材が入ることでブランドが成長し、ブランドが成長することで、さらに人が集まる。採用に困らなくなったことも、ブランドをつくった大きな成果です。

現在、私たちは陶器そのものをつくっているとは考えていません。

例えば土鍋であれば、私たちがつくっているのは土鍋だけではなく、それを囲む人たちの笑顔や会話、「おいしいね」という言葉です。そうした時間を少しだけお手伝いするものをつくっている。

かもしか道具店は、単に「もの」をつくるブランドではないのだと思います。

2024年には、クラフト石川の事業を引き継ぎました。どのような経緯があったのでしょうか。

クラフト石川から「引き継いでもらえないか」と言われ始めたのは、実際に承継する10年ほど前です。

最初は冗談のような話だったので、私も本気にはしていませんでした。その後、「あと2年ほどで辞める」という段階になってから具体的な話が始まりましたが、当初は私も引き継ぐつもりはありませんでした。

山口陶器にも自社の商品がありますから、引き継ぐ必要性を感じられなければ、無理に行う必要はありません。

しかし、クラフト石川の方が最後まで言い続けていたのが、「自分たちの商品を好きでいてくれるお客さんがいる」ということでした。

そのファンの方々に少しでも喜んでもらえるのであれば、引き継ぐしかないと考えるようになりました。

クラフト石川も菰野町の事業者です。地域から焼き物の事業所が一つ減ることを防ぐのも、自分ができる仕事の一つではないかと思いました。

今回引き継いだのは、クラフト石川というブランドです。現在、有限会社山口陶器の中に「かもしか道具店」と「クラフト石川」という二つのブランドが存在しています。

釉薬製造事業も承継されています。引き受けることになった背景を教えてください。

この産地で稼働している2件の釉薬事業者のうち1件が、経営者の年齢や事情により事業を続けられなくなったことがきっかけです。

釉薬を供給する事業者がなくなれば、産地のサプライチェーンが崩れ、萬古焼産地の衰退が一気に加速する可能性があります。

私は以前から、その事業所の後継者がいないという事から、将来的に廃業する可能性を感じていました。そこで、約13年前から自社で使用する釉薬の内製化を進めていたため、山口陶器自身がすぐに困る状況ではありませんでした。

しかし、地域には釉薬が手に入らなくなり、「助けてほしい」と声を上げる事業者がいました。以前から数社には「いざというときはうちの釉薬で対応する」と話していましたが、突然の事態によって、困っている事業者は10社ほどにまで増えました。

困っている人たちを、そのままにしておくことはできません。産地全体のことを考えたとき、やるべき人がやらなければならないと思い、私が引き継ぐことを決めました。

釉薬は、陶器の表面に色や質感を与えるだけではありません。焼成によってガラス質になり、強度を高めたり、土から水が漏れないようにしたりする役割があります。

現代の焼き物の多くは釉薬を使っています。その釉薬をつくる事業者がなくなるということは、焼き物自体がつくれなくなることと同じなのです。

山口さんは、自社だけでなく産地全体を残そうとしているように感じます。萬古焼産地の未来をどのように考えていますか。

自分たちだけが儲かればいいとは、全く思っていません。

産地だからこそ成り立っていることが数多くあります。釉薬の供給もそうですし、陶器の原料となる土は地中から採掘するものなので、国の制度なども関係します。一社だけでは解決できない課題がたくさんあるんです。

だからこそ、産地というまとまりは非常に大切です。

一方で、かつて200社以上あった事業者が、現在は30社ほどになり、実際に動いているのは20数社です。このまま10年、20年と同じことを続けて、本当に産地として残っていけるのかという危機感もあります。

三重、岐阜、愛知をはじめとする中部地域は、焼き物が盛んな地域です。もともと東海湖と呼ばれる大きな湖が存在し、その地層から良質な土が取れることが背景にあります。

今後は、近隣の陶磁器産地と競い合うだけではなく、一緒に取り組むことや、将来的には産地同士の統合も視野に入れる時代が来るかもしれません。

それが来年なのか、5年後なのか、100年後なのかは分かりません。しかし、私たちが生きている今、未来に向けてどのような手を打つかを考えなければ、未来はつくれません。

どの時代も、その時代を生きた人が行動したからこそ、現在があります。

私が亡くなった後、次の世代、あるいはさらにその次の世代から、「山口陶器の二代目が、あの時代にこんなことをした」と言われることがあれば、それが私にとっての成功だと思っています。

その頃、山口陶器の中心事業が陶器ではなくなっていても構いません。大切なのは、その時代に必要なことを考え、未来へつなげることです。

今後、ご自身が特に力を入れたいことは何でしょうか。

これから10年、20年は、会社としてまださまざまなことに挑戦すると思います。

ただ、私自身の重要な役割は、会社を次の世代へどのようにバトンタッチするかを考えることです。

50歳の誕生日に、多くの友人から祝ってもらいました。その場の最後の挨拶で、私は「これから終活を始めます」と話しました。

もちろん、自分自身の終活ではありません。会社の終活です。

これまで私は経営者として、「自分が会社をどうしていきたいか」という思いで、前へ進み続けてきました。しかし、これからは次の世代のことを考えて生きなければなりません。

経営者が「辞めます」と言うこと自体は簡単です。しかし、私より若い従業員がいる中で、責任を果たさずに辞めることはできません。

自分がこれまでやってきたことと、これからの会社の未来を整理し、次の世代にバトンを渡す。その後、時代に合わせてどう変えていくかは、次の経営者が考えることです。

ただ、「何も考えずに、あの人は辞めていった」とだけは言われたくありません。

次世代へ責任を持って会社を渡すことが、これから私が最も力を入れるべき仕事だと考えています。

山口 典宏のプロフィール写真
プロフィール

山口 典宏

有限会社山口陶器 代表取締役

三重県菰野町で萬古焼の企画・製造・販売を手掛ける有限会社山口陶器の二代目。もともとは家業を継ぐつもりがなく外部の会社で約10年働いたのち入社し、代表に就任。OEM・下請け中心だった経営を転換し、2014年に自社ブランド「かもしか道具店」を立ち上げ、企画から製造・物流・販売までを一貫して手掛ける体制を築いた。2024年には後継者不在の窯元「クラフト石川」を承継、さらに産地のサプライチェーンに欠かせない釉薬製造事業も引き受けるなど、自社にとどまらず萬古焼産地全体の存続を見据えて行動を続けている。

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