インタビュー

創業79年、富山のかまぼこ文化を次世代へ。付加価値ある商品づくりに挑む4代目の挑戦|鮨蒲本舗 河内屋

創業79年、富山のかまぼこ文化を次世代へ。付加価値ある商品づくりに挑む4代目の挑戦|鮨蒲本舗 河内屋

1947年創業、富山県魚津市を拠点に高級蒲鉾や細工蒲鉾、看板商品「鮨蒲」「棒S」などを展開する鮨蒲本舗 河内屋。富山の食文化として根付くかまぼこを、時代に合わせて進化させてきた同社で、4代目として家業に戻った河内廷紘さん。老舗の伝統を守りながら、新しい価値を生み出す挑戦について伺った。

まず、河内屋の事業内容について教えてください。

河内屋は、富山県を拠点に、直営店やお土産売り場、百貨店などを通じて、主にギフトやお土産として利用される付加価値の高いかまぼこを製造・販売している会社です。いわゆる一般的なスーパー向けの商品というよりも、贈り物や観光土産として手に取っていただけるような、高級感や特別感のある商品づくりを大切にしています。

富山県は、かまぼこが日常生活に深く根付いている地域です。一世帯あたりのかまぼこ消費額も全国上位で、スーパーに行くと棚いっぱいにかまぼこが並んでいるような土地柄です。一方で、かまぼこ業界全体を見ると、豆腐屋や酒蔵と同じように、地域産業として年々事業者数が減少している現実もあります。

その中で河内屋は、単に昔ながらのかまぼこを作り続けるのではなく、ギフトや観光、お土産の文脈で選ばれる商品をつくることに力を入れてきました。創業当時から、時代に合わせて付加価値のある商品づくりを目指してきたことが、今の河内屋の特徴になっています。

創業から現在まで、河内屋はどのように事業を変化させてきたのでしょうか。

創業は1947年です。初代の頃は、いわゆる一般的なかまぼこ屋として、地域に向けて商品を作って販売していました。当時は魚も豊富に獲れ、かまぼこ屋も多く、作れば売れるような時代だったと聞いています。

大きく事業が変わったのは、2代目の社長の時代です。大量生産・大量消費の時代が進み、さらに食の多様化も進む中で、同じものを作り続けているだけでは価格競争に巻き込まれてしまうという危機感がありました。河内屋は富山県内のかまぼこ業界の中では後発メーカーだったこともあり、他社と同じ土俵で戦っても簡単には勝てません。そこで、生き残るために「付加価値ある商品づくり」に舵を切りました。

その中で生まれた代表的な商品が「鮨蒲」です。かまぼこの上に寿司ネタをのせた商品で、当時はそのような概念自体がありませんでした。河内屋が製法特許・実用新案・商標を取り、最初に開発した商品です。最初は富山県内で新しい商品を出しても、すぐには受け入れられにくかったそうです。しかし、2代目が前職で培った百貨店とのつながりを活かし、東京など県外で評価を得ていきました。県外で評価されたことで、次第に富山県内でも「鮨蒲といえば河内屋」と認知されるようになっていったのです。

その後、3代目である父の代では、観光需要や北陸新幹線開業を見据えた商品づくりが進みました。お歳暮やお中元だけに頼るのではなく、閑散期にも売上をつくるために季節限定商品を開発したり、観光客が手に取りやすい商品をつくったりしてきました。その中で生まれたのが、スティックかまぼこ「棒S」です。もともとあったスティックかまぼこを、2014年の北陸新幹線開業に向けてパッケージリニューアルし、観光とギフトの両軸で評価される商品へと育てていきました。

富山において、かまぼこはどのような食文化として根付いているのでしょうか。

富山のかまぼこ文化には、地域の歴史や食文化が深く関わっています。富山は北前船の中継地点でもあり、北海道から昆布が多く入ってきた地域です。そのため、昆布を使った食文化が非常に発達していて、昆布巻きのおにぎりや昆布締めなど、昆布にまつわる食べ物が多くあります。

かまぼこもその一つです。魚のすり身を昆布で巻いて蒸すことで、魚をより日持ちさせることができる。昔の人たちがそう考えたことから、昆布巻きかまぼこが富山の伝統として根付いていったのだと思います。

また、富山には冠婚葬祭でかまぼこを引き出物として配る文化もありました。お裾分け文化もあり、特に大きな鯛の形をした細工かまぼこは、お祝いごとの象徴として使われてきました。昔は結婚式も大人数で行われ、大きな鯛のかまぼこを何箱も配るような時代がありました。

ただ、時代が進むにつれて、結婚式や家族の形も変わってきました。大きなものを一つ贈るよりも、小さくて可愛らしいものを少しずつ楽しみたいというニーズが増えています。その変化に合わせて、河内屋でも大きな鯛のかまぼこだけでなく、小さな細工かまぼこや、見た目にも楽しい商品をつくるようになりました。伝統を残しながらも、今のお客様が手に取りやすい形に変えていくことを大切にしています。

河内屋の強みは、どのようなところにあると感じていますか。

河内屋の強みは、機械に頼り切らず、手作りを大切にしているところだと思います。もちろんその分、手間はかかります。しかし、手作業があるからこそ、他では作れないようなオリジナリティのある商品や、キャラクターの立った商品を生み出すことができます。

また、素材にもこだわっています。上級グレードのすり身を使い、立山連峰の天然水も活かしながら、味そのものの品質を大切にしています。見た目だけでなく、食べた時に「美味しい」と感じていただけることが前提にあります。

河内屋の商品は、形やデザイン、パッケージも含めて価値をつくっています。細工かまぼこのように職人の手が入る商品もあれば、「棒S」のように手軽さとデザイン性を掛け合わせた商品もあります。味、手作りの技術、見た目の楽しさ、贈り物としての魅力。その複数の要素を組み合わせながら、付加価値をつくれることが河内屋らしさだと考えています。

「付加価値ある商品づくり」は、会社の文化として根付いているのでしょうか。

そうですね。2代目、3代目と、それぞれの代が新しい商品を生み出してきた歴史があります。自分自身も4代目として、「自分はどんな商品を残せるのか」という使命感のようなものがあります。

会社の中にも、新しい商品をつくることが当たり前の土壌があります。もちろん、ただ奇抜な商品を出せばいいわけではありません。お客様のニーズや時代の変化に合わせて、河内屋らしい形で商品を進化させていくことが大切です。

今、自分が取り組んでいることの一つに、ミッション・ビジョン・バリューの策定があります。これまで河内屋が大切にしてきたこだわりや、目指している方向性は、感覚として社内に存在していました。ただ、それを言語化し、社内外に伝わる形にしていく必要があると感じています。

今後は、河内屋が何を大切にし、どんな未来を目指している会社なのかを、より明確に伝えていきたいです。それはブランディングにもつながりますし、採用においても「この会社で働きたい」と思ってもらえる理由になると考えています。

モットーに掲げている「老舗の伝統を守り、新しいかまぼこを生み出す」とは、具体的にどういうことなのでしょうか。

伝統というものは、ただ昔の形をそのまま守ることだけではないと思っています。もちろん、細工かまぼこの技術や富山の食文化は大切にしなければなりません。ただ、お客様の暮らしや価値観が変わっているにもかかわらず、昔と同じものだけを作り続けていれば、いずれ廃れてしまいます。

例えば、昔は大きな鯛のかまぼこが引き出物として喜ばれる時代でした。しかし今は、家族の人数も少なくなり、結婚式の規模も変わっています。そうなると、小さくて可愛らしく、少しずついろいろな味を楽しめる細工かまぼこの方が、今のお客様には合っているかもしれません。

スティックかまぼこ「棒S」も同じです。昔ながらのかまぼこの味や品質を守りながら、観光客や若い世代にも手に取りやすい形にした商品です。伝統を守るというのは、過去の形に固定することではなく、時代に合わせて受け継がれる形へ変えていくことだと思っています。

スティックかまぼこ「棒S」の夏の新味「真夏の印度カリー」をビールとともに盛り付けた様子

かまぼこのニーズや時代の変化は、どのように捉えているのでしょうか。

一つは、店頭でのお客様の声です。実際にお客様と接する中で、どのような商品が選ばれているのか、どんな声があるのかを知ることはとても大切です。

もう一つは、世の中全体の環境変化を見ることです。例えば、今はインバウンドのお客様が増えています。円安の影響もあり、海外から日本に来る方は今後も一定数増えていくと考えています。そうした時に、富山や日本の食文化として、かまぼこをどう届けるのかは考えていかなければなりません。

自分としては、未来を完全に予測するというよりも、環境変化にしっかり対応し続けることが大切だと思っています。お客様のニーズも、観光のあり方も、贈り物の選ばれ方も変わっていきます。その変化を見ながら、河内屋として何を届けるべきかを考え続けることが、老舗として続いていくために必要だと感じています。

河内さんご自身は、幼い頃から家業を継ぐ意識があったのでしょうか。

はい、ありました。河内屋の本店ビルは、1階が店舗、2階が事務所、3階・4階が実家という環境でした。子どもの頃から、家業はとても身近な存在でしたし、自然と将来は自分が関わるものだという意識はありました。

大学卒業後は、すぐに家業へ戻ったわけではありません。インターネットを活用した食材販売を先駆的に展開していた企業に入社し、EC市場の成長期を最前線で経験しました。入社当時はベンチャー企業でしたが、その後上場市場の最上位区分まで成長していく過程を間近で見ることができたことは、大きな学びとなりました。担当したのは、実店舗や卸売事業を運営するリアルマーケティング部門です。業務を通じて、オンラインとオフラインの顧客接点を連携させるオムニチャネル戦略に携わるとともに、「誰のどのような課題を解決するのか」「どのような商品を、どのような方法で届けるのか」といったマーケティングの本質について深く学ぶことができました。ECとリアルの双方の視点から顧客理解を深め、効果的な販売戦略を考える経験を積むことができたことは、その後のキャリアにおいても大きな財産となっています。そうした経験を積んだ上で、3年前に家業へ戻りました。

家業に戻るタイミングは、どのように決めたのでしょうか。

父とは以前から、いつか戻ることについて話していました。その中で、あまり年齢を重ねてから戻るよりも、若いうちに戻った方が社内の人たちとコミュニケーションを取りながら変えていきやすいという話がありました。30歳に入る前くらいに戻る方が、今後のことを考えると良いのではないかという感覚はありました。

ただ、明確に「いつ戻ってこい」と言われていたわけではありません。自分の中で、前職で一つの区切りがついたタイミングがありました。プロジェクトにも一区切りがつき、自分なりにやり切った感覚がありました。その経験を持って戻れば、家業でも即戦力とまではいかなくても、自分なりに考え、挑戦できるのではないかと思えたのです。

家業に戻ることは、単に地元に帰ることではありません。食品業界で学んできたことを、河内屋の未来にどう活かすか。そうした意識を持って戻りました。

実際に家業へ入ってみて、見え方が変わったことはありますか。

食品業界という大きな枠では同じですが、都心と地方ではやはり違いを感じる部分があります。特に人の面、採用の面では違いを感じました。

都心では人材の流動性が高く、採用をかければ一定数の応募がある感覚もありました。しかし地方では、そう簡単ではありません。人口減少も進んでいますし、地方の中小企業が人材に選ばれるためには、ただ求人を出すだけでは難しい時代になっています。

だからこそ、これからは会社としてのブランディングが重要だと感じています。商品をお客様に選んでもらうだけでなく、働く場所としても選ばれる会社にならなければいけません。河内屋が何を大切にし、どんな未来を目指しているのかを言語化して伝えることは、採用や組織づくりにおいても必要だと思っています。

家業に戻ってからの3年間で、特に注力してきたことは何ですか。

最初の1年は、製造現場に入りました。実際にどのような工程で商品が作られているのかを知らなければ、見当違いの判断をしてしまうと思ったからです。現場に入ることで、河内屋の商品づくりの強みも、改善すべき点も見えてきました。

河内屋は多様な商品をつくっている一方で、商品数が多いからこそ非効率になっている部分もあります。また、オンラインショップやクラウドツールの導入など、先駆けて取り組んできた部分はありましたが、運用面ではまだ改善できる余地があると感じました。

製造現場を経験した後は、商品の開発やバックオフィスのDXに取り組みました。給与明細の電子化や書類のクラウド化など、社内業務の効率化も進めています。

同時に、看板商品の「棒S」をさらに伸ばしていくための準備も進めていました。棒Sはこれからも可能性のある商品だと感じていますが、一方で非常に手間のかかる商品でもあります。新しいフレーバーや季節限定商品に挑戦するためには、まず現場の改善が必要でした。現場の負担を見直し、次のチャレンジができる土台をつくってきたことが、この3年間の大きな取り組みです。

11年ぶりの夏の新味「真夏の印度カリー」は、どのような発想から生まれたのでしょうか。

河内屋には、もともと夏季限定商品として「カリー蒲鉾」があり、人気の商品でした。棒Sで季節限定フレーバーを開発するにあたり、各店舗から有志を募って商品開発チームをつくり、「どんなフレーバーがあったらいいか」を話し合いました。その中で、カリー蒲鉾のようなフレーバーが棒Sにもあるといいのではないかという意見が出ました。

ただ、既存のカリー蒲鉾をそのまま棒Sにするだけではありません。かまぼこの形が変われば、中の配合も変えなければいけません。個人的には、かまぼこのプリッとした食感だけでなく、食べた時にいろいろな食感があった方が楽しいと感じていました。そこで、ナッツを入れるなど、食感の面でも工夫を加えました。

また、辛さの設計にもこだわりました。棒Sのパッケージデザインを手がけてくださったデザイナーの方が辛いものが好きだったこともあり、40代、50代の方がお酒のおつまみとして楽しめるような味わいを意識しました。夏にビールと合わせて楽しめるような、少し刺激のある商品に仕上げています。

今、河内さんが一番向き合っている課題は何ですか。

今一番向き合っているのは、組織づくりです。ミッション・ビジョン・バリューの策定もその一つです。

これまでの河内屋は、現社長やベテランの方々のカリスマ性、リーダーシップ、マンパワーによって支えられてきた部分が大きいと感じています。それは素晴らしいことですが、次の世代でも同じやり方をそのまま再現できるかというと、難しい部分があります。

これからは、個人の力だけに頼るのではなく、チームとして結束して戦える集団になっていかなければなりません。そのためには、みんなで共有できる価値観や判断基準が必要です。何を大切にし、どこを目指すのかがバラバラだと、組織として前に進みにくくなってしまいます。

また、属人化しているノウハウを次の世代へ渡していくことも重要です。今は動画マニュアル化などにも取り組んでいます。職人の感覚やベテランの経験を、できる限り仕組みとして残していく。自分の次の世代にもバトンを渡せる形にしていくことが、今の自分の大きな役割だと感じています。

事業承継に向けて、お父様とはどのようなコミュニケーションを取っているのでしょうか。

具体的に「何年後に承継する」といった話を細かくしているわけではありません。ただ、少しずつ業務を引き継いでいくような形で進んでいます。父が担ってきた仕事や判断を、自分が少しずつ受け取りながら、会社全体を見ていく領域を広げている感覚です。

事業承継は、ある日突然バトンが渡されるものではないと思っています。現場を知り、商品を知り、社員を知り、会社の歴史や強みを理解した上で、少しずつ経営の役割を引き継いでいくものだと感じています。

自分の場合も、まず製造現場に入り、商品や工程を学びました。その後、DXや商品整理、新商品開発、組織づくりに取り組んできました。そうした積み重ねの中で、次の経営を担うための準備を進めている段階です。

これから河内屋をどのような会社にしていきたいですか。

河内屋は中小企業です。急に大きなメーカーへとジャンプアップすることを目指すというよりも、長く愛され続けるブランドになっていくことが大切だと思っています。

ただ、現状維持では後退してしまいます。環境の変化やお客様のニーズの変化にしっかり対応しながら、これからも新しい商品を作り続けていきたいです。「河内屋のお店に行けば、何か新しいものに出会える」「オンラインショップを見れば、また面白い商品がある」。そんなワクワク感を継続して提供できるブランドにしていきたいです。

そして、河内屋の商品を通じて、富山の魅力や日本の魅力をもっと多くの人に知ってもらいたいと思っています。河内屋のかまぼこを食べて、「富山っていいな」「日本の食文化って面白いな」と感じてもらえることが理想です。

伝統を守るだけでなく、新しい価値を生み出し続ける。富山の食文化を次の世代へつなぎながら、河内屋らしい商品でお客様に驚きや楽しさを届けていく。そんな会社を目指していきたいです。

河内 廷紘のプロフィール写真
プロフィール

河内 廷紘

鮨蒲本舗 河内屋 四代目

1947年創業、富山県魚津市に本社を構える鮨蒲本舗 河内屋の四代目。看板商品「鮨蒲」やスティックかまぼこ「棒S」など、付加価値の高いかまぼこづくりを続ける老舗に生まれ育つ。大学卒業後は、インターネットを活用した食材販売を先駆的に手がける企業でEC市場の成長期を経験し、実店舗・卸売事業のリアルマーケティング部門でオムニチャネル戦略に携わった。3年前に家業へ戻り、製造現場に入ったのち、バックオフィスのDX、新商品開発、組織づくりまで幅広く取り組む。老舗の伝統を守りながら、富山の食文化を次世代へつなぐ新しい商品づくりに挑んでいる。

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