インタビュー

222年の酒蔵を次代へつなぐ第三者承継|井上酒造

222年の酒蔵を次代へつなぐ第三者承継|井上酒造

大分県日田市大鶴の地で、文化元年(1804年)から酒造りを続けてきた株式会社井上酒造。清酒「角の井」や麦焼酎「百助」などで知られる同社は、長い歴史を持つ老舗蔵でありながら、近年は経営体制の転換という大きな節目を迎えました。

2026年3月23日、8代目社長に就任したのが後藤康男氏です。大分銀行出身で、複数の民間企業において経営を担ってきた後藤氏は、創業家の井上百合氏が酒造りに専念できる体制を整えながら、販売・財務・組織づくりを担う立場として同社に参画しました。

歴史ある酒蔵を、外部から入った経営者はどのように受け止めたのか。経営と製造を分けることで、どのような変化が生まれているのか。そして、地域に愛される蔵元を次代へつなぐために何を大切にしているのか。後藤氏にお話を伺いました。

井上酒造の代表就任を打診された時、どのようなお気持ちでしたか。

最初に話を聞いたのは、銀行の役員室でした。2名の方から「井上酒造に行ってもらえないか」と打診を受けました。

会社が自宅から遠方だったこともあり生活面での心配もありましたが、最終的には銀行の意思決定として私を指名したと聞き、「これは受けるしかない」と腹をくくりました。

私は、いただいた話をあまり断らない性格です。やらない後悔より、やって失敗する方がまだいい。何もしない「不作為」が一番嫌いなんです。今回の話も、ある意味で天の声のように受け止めました。

外部から入る経営者として、社員との関係づくりで意識したことは何ですか。

日田市大鶴に建つ井上酒造の歴史ある主屋

民間企業の社長の経験は過去にもありました。その経験から考えていたことは、外から来る以上、最初は完全なアウェイだということです。だからこそ、まずは顔と名前を覚え、笑顔で挨拶をすることから始めました。「変な人が来たな」ではなく、「まあまあ悪くない人かな」と思ってもらうところが出発点です。

銀行出身者が中小企業に入るときに気をつけなければならないのは、「銀行にいた頃は」という言葉を出さないことです。銀行のように制度が整った環境と、現場で必死に会社を回している中小企業では、前提がまったく違います。

社員の皆さんは、厳しい環境の中でも会社を支えてきた人たちです。だからこそ、まずは給料をきちんと支払い、会社を回すこと。経営者として当たり前のことですが、それを守ることが第一だと考えています。

経営と酒造りを分けたことで、現場にはどのような変化がありましたか。

酒造りは非常に繊細な仕事です。温度管理や麹づくりなど、昼夜を問わず神経を使います。その一方で、経理や売掛金管理、資金繰りまで一人で担うのは、相当な負担だったと思います。

私が経営側を担うことで、井上百合氏には「美味しい酒を造ることに専念してください」と伝えました。役割が明確になったことで、現場と経営の分離が進み、蔵元としての力を発揮しやすくなったと思ってくれたら幸いです。

加えて、大分銀行から財務・総務を担う人材も加わりました。資金繰りや管理面を任せられる体制ができたことで、私は新たな販路開拓や売上向上に集中できるようになっています。正常な経営状態をつくるための土台が、ようやく整い始めたところです。

歴史ある酒蔵の強みを、今後どのように生かしていくのでしょうか。

清酒「角の井」の銘が掲げられた井上酒造の蔵

井上酒造には、良いコンテンツがたくさんあります。創業222年の歴史、女性杜氏による酒造り、田植えから稲刈りまでお客様と一緒に行う取り組み、そして元大蔵大臣・井上準之助氏の遺品を展示する清渓文庫。どれも大きな魅力です。

ただ、これまではそれらが十分に売上へ結びついていませんでした。日田市の方には知られていても、大分市の人でさえ詳しく知らないこともある。告知や広報、商品価値の伝え方には、まだ改善の余地があります。

商品面では、SKU(在庫管理上の最小単位)が多すぎることも課題です。小さな蔵の規模を考えれば、売れる商品に絞り、選択と集中を進める必要があります。清酒「百合仕込み」、麦焼酎「初代百助」、そして「角の井」の純米大吟醸など、強みのある銘柄をどう磨き、どう届けるかが今後の鍵になります。

小さな組織を率いるうえで、大切にしていることは何ですか。

笑顔で取材に応じる井上酒造の後藤康男社長

井上酒造は、社員6人、アルバイト6人ほどの小さな会社です。一人が三役を担わなければ、会社は回りません。だからこそ、トップダウンだけではなく、双方向の意見交換を大切にしています。

私が意識しているのは、社員へのリスペクトです。自分の給料も、社員の皆さんが働いてくれているから出ている。そう考えると、社長にしかできない仕事をしっかりやり、頑張っている社員に報いる必要があります。

ベテラン社員の経験値も非常に大切です。何十年と蔵に関わってきた人の知恵は、ウェブにも本にも載っていません。若い人の情熱を育てながら、先人が培ってきた技術や感覚も大事にしていく。その両方が、次の酒造りを支えると考えています。

10年後、井上酒造をどのような会社にしたいですか。

10年後も、この日田市大鶴の地に、しっかり酒蔵が残っていること。それがまず一番です。社員数も今より増やし、10人、15人と雇用を生み出せる会社にしたいですね。

地域のためにできることは、まず事業を続けることです。税金を納め、雇用を守り、毎年決算を迎えて次の一年へ進む。その積み重ねが、地域への恩返しになると思っています。

地元の高校生が卒業するときに、「井上酒造に入りたい」と思ってくれるような会社でありたい。地域に愛される企業であり、日田・大鶴のシンボルのような存在になっていくことが、これからの目標です。

後藤 康男のプロフィール写真
プロフィール

後藤 康男 Goto Yasuo

井上酒造 代表取締役社長

大分銀行出身。複数の民間企業で経営を担った後、2026年3月、文化元年(1804年)創業の老舗酒蔵・井上酒造の8代目社長に就任。外部から経営者として参画し、財務・販売・組織づくりを担いながら、創業家の井上百合氏が酒造りに専念できる体制づくりを進めている。歴史ある蔵の価値を守りつつ、地域に愛される酒蔵として次代へつなぐ経営に取り組む。

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